ク•ビレ邸の秘かな愉しみ

北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ(大阪市)の情報発信拠点「ク・ビレ邸」で開催されるイベントに関する極秘ニュース。決して他言は許されませんのでご注意あそばせ!

あがた森魚が仕組んだ「赤色エレジー」の罠

◉邸主の妄言 PREVIEW◉

agata1北加賀屋クリエイティブ・ビレッジのインフォメーション・センター「ク・ビレ邸」を運営するアート・プロジェクト集団「鞦韆舘(しゅうせんかん)」のもうひとつの拠点、アート・スタジオ「藝術中心◉カナリヤ条約」にあがた森魚がやってくる。旧知の仲であるカメラマンが同氏のシンパサイザーで、今回のライブ企画を持ち込んできてくれた。このカメラマンは、私が主宰するパフォーミング・アーツ集団「銀幕遊學◉レプリカント」のステージを20年来にわたってビデオ撮影してくれていて、あがた森魚のコンサートを各地のプラネタリウムで開いたりしている。

1970年代にキラ星のごとく輝いた幾多のフォークシンガーの中にあって異彩を放っていたあがた森魚。同氏の代表曲「赤色エレジー」がヒットしたのが1972年とのことで、当時の私は小学生卒業か新中学生あたり。あがた森魚がテレビで歌う姿をかすかに記憶しているが、その曲はサーカスのジンタを思わせる哀愁をおびた曲だった。

   愛は愛とて 何になる  男一郎 まこととて
   幸子の幸は どこにある  男一郎 ままよとて
   昭和余年は 春も宵  桜吹雪けば 蝶も舞う   「赤色エレジー」

「赤色エレジー」イラストは林静一

「赤色エレジー」
イラストは林静一

妙に耳に残る歌い方と声だったので、記憶に留まっていた。大学生になって演劇に熱中し始めた頃、劇作家・寺山修司の文庫本を装丁していた林静一が眼に留まったのだが、「赤色エレジー」は林静一が描いた同名マンガに感銘を受けたあがた森魚が作った歌だったと知った。しかし、リアルで聞いた小学生か中学生の私には、まったく意味不明の歌詞で、「幸子の幸はどこにある」の部分だけを繰り返し歌っていたことだけは鮮明に覚えている。
当時の同級生の女子の名前には必ずと言っていいほど「子」がついていた。クラスに一人くらい「幸子」という女子がいて、彼女をからかうように男子は「さぁ〜ちこのさぁ〜ちはぁ〜、どぉ〜こにぃあるぅ〜」と歌ったものだ。現在の女子小・中学生の「メイ」とか「リナ」とか「アンナ」といった、国際派をイメージさせる名前に暴走族よろしくミョウチクリンな漢字を当てるといった「風習」は当時はなかった。

agata3「赤色エレジー」が日本中に流れていた頃、時代は高度経済成長の真っ只中で、「大阪万博」(1970)を体験した私は、夢と希望にあふれた21世紀を夢見ていた。だからどうにもこうにも「赤色エレジー」のようないわゆる「貧乏臭い」フォークソングはイマイチ、ピンとこなかった。しかし中学生になってフォークソングを、高校生になってロックを体験するにつれ、大正ロマンや昭和レトロが気になり始め、大学でアングラ演劇にカルチャーショックを受けたとき、こういった感覚は決定打となった。

40枚目のオリジナルアルバム 装画は現代美術家の奈良美智

40枚目のオリジナルアルバム
装画は現代美術家の奈良美智

こう振り返ってみると、私自身、すっかり「赤色エレジー」的世界感にハマってしまっているのかも知れない。1970年当時、あがた森魚が歌う姿を映し出すテレビからは「70年安保闘争」や「三島由紀夫の割腹自殺」や「あさま山荘事件」などが一緒に流れてきた。時代を変革しようとした当時のナウなヤングのガッツなフィーリングが「挫折」し、貧乏臭い「同棲」がニューなライフスタイルとなった。それを拒絶した私は、自身の演劇パフォーマンスにクールでスタイリッシュなスタイルを求めていたのだが、いくつかの作風変遷を経て、今ではすっかり、やっぱり「アングラ」だ。これもそれも「赤色エレジー」の罠にはまった、あるいは網にかかたのだろうか。とにかく、あがた森魚のライブを体験して、それを確かめてみたい。

(文責・佐藤香聲

◉あがた森魚 アルバム発売記念LIVE
 「ベスト大航海40年史」&「ぐすぺり幼年期」

【日    時】2012年12月21日(金)開場 19:30 開演 20:00

【料    金】前売 2,500円  当日 3,000円
        ※前売・当日共、1ドリンクつき

【会    場】藝術中心◉カナリヤ条約

【チケット予約】06-7492-7504(17:00 – 22:00)
        replic@nt.forum.ne.jp

【参 照 サ イ ト】あがた森魚オフィシャル・サイト

 

 

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